STORY 01

「言葉の人」だから、
舞台に魅了された

小説家

20代で作家としてデビューして以来、『博士の愛した数式』をはじめ数多くの傑作を世に送り出してきた小川洋子さん。そんな小川さんが、演劇の魅力に目覚めたきっかけとは? 同じ公演は二度とない一回性に心を打たれ、『劇場という名の星座』では帝国劇場を支える人々を描いた小川さんは、舞台から得た感動を、どのように創作に活かされているのでしょうか。

慌ただしい日々から離れ、
「生の舞台」の魅力に出会う

20代で作家デビューを果たした小川洋子さんが、舞台の魅力を知るまでには長い時間を要した。

「デビュー以降は仕事と育児で手一杯で、慌ただしい日々がずっと続いていました。地方から仕事で上京するたびに、新幹線の中でも『明日のお弁当のおかずはどうしよう?』と頭の中は生活のことでいっぱい。観劇する機会はあったのですが楽しめる状態ではありませんでした」

転機は、子どもが成長して心に余裕が生まれた頃。担当編集者がバレエ鑑賞に誘ってくれた。続いて文楽、そしてミュージカルへ。そうするうちに、小川さんは「生の舞台」の魅力に夢中になった。

「神様が、ちょうどいいタイミングで連れ出してくださったような気がします」

言葉を生業にする者として、
無言の表現に圧倒された

身体だけで観客を釘付けにするバレエ。物言わぬ人形が感情を伝えてくる文楽。言葉を使って表現する作家だからこそ、「無言の表現」に心を奪われた。

「言葉は人間が後からつくった道具ですよね。便利だけれども制約がある以上、どうしても“行き止まり”がある。その壁を超えようと文学は四苦八苦しているのに、ダンサーや人形たちがやすやすと壁を超えていくのを目の当たりにして、衝撃を受けました」

食わず嫌いだったミュージカルにも、ほどなく目覚めた。

「歌だからこそ伝わってくる感情が、確かにある。観客は歌を通じて、登場人物の心の中の声――本来は音にならない声を特別に聴かせてもらっている。そう気づいたとき、小説家として何ともいえない羨望と憧れを感じました」

劇場を舞台にした小説『掌に眠る舞台』『劇場という名の星座』

舞台で得た感動が、創作の道しるべに

舞台への開眼は、小説家として「書く難しさ」に直面していた時期とも重なる。

「ベテランになって書けば書くほど、自分の至らなさがわかる。若い頃は勢いや根拠のない自信で書き進められたのですが、いろんなことがわかってくると『本当にこれでいいの?』と自問の声に悩まされる。キャリアを重ねるほど、小説を書くことが難しくなります」

道しるべを示してくれたのが、舞台だった。

『風と共に去りぬ』の1966年初演――舞台上で本物の馬を走らせたかのように見せる演出で語り草となった作品の資料映像を、小川さんは帝国劇場の取材時に見せてもらったという。

「本物の馬を出しても、実際には走っているわけじゃないんです。それでも観客には、ちゃんとその馬が走って見える。嘘を真実にする見事な演出に衝撃を受けました」

実際に劇場で観た『モーツァルト!』では、また別の衝撃が待っていた。

「モーツァルト本人を演じる大人の役者とは別に、彼の才能そのものを“アマデ”という子役の姿で“外付け”して表現していました。才能を、生身の身体として見せる。舞台だからこそ可能なことですよね」

古今東西のさまざまな魔法は、自身の創作にも大いに刺激を与えてくれた。

「紙面から人が立ち上がり、汗を飛ばし、声を響かせる。そんな小説を私は書きたかったんだ、と気づきました。だから難しくて当たり前。でも嘘が真実になり、矛盾が矛盾でなくなる舞台の魔法は、小説でもきっとかけられるはず。言葉で読ませて、言葉を失わせるような小説を、私も書かなければならない。そう考えるようになりました」

未来を見つめ、
この“瞬間”に全力を尽くす

「チケットを買うことは、未来との約束を交わすこと。今日を肯定して、未来の夢を買う。舞台の価値はそんなところにもあると思っています」

舞台の魅力に目覚めた当初は、「もっと早く観ておけば」と悔やむことも多かったという。

「ある俳優さんのファンの集いに参加したとき、『今、出会えたことが幸運ですよ』と励まされて、本当にそうだなと思えたんですよね。演劇に関わる人たちは、過ぎたことを悔やまず、一瞬一瞬を大切にしている。その姿勢に励まされます」

演劇には、一回性の尊さがある。その“瞬間”を支える人々の覚悟や潔さを新作『劇場という名の星座』にも込めた。

「どんな公演も、今日この場にいる演者・スタッフの組み合わせは二度と戻らない。その一瞬を支えるために、最大限の力を尽くされている。だからこそ、私は舞台に惹きつけられてしまうのだと思います」

帝国劇場の取材時に使用した取材ノート

小説家 小川 洋子

1962年、岡山県生まれ。1988年に短編「揚羽蝶が壊れる時」(『完璧な病室』収録)で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。1991年「妊娠カレンダー」で芥川賞、2004年『博士の愛した数式』で読売文学賞・本屋大賞、2006年『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞を受賞。近著に演劇や舞台をモチーフにした『掌に眠る舞台』(2022年)、2025年2月をもって建て替えのため一時休館となった帝国劇場を愛し、作り上げてきた人々を描いた『劇場という名の星座』がある。

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