20代でデビューし、『博士の愛した数式』をはじめ数々の作品を世に送り出してきた小川洋子さん。作家としてキャリアを確立し、子育てが一段落した頃、編集者に誘われて足を運んだ劇場で、小川さんは初めて舞台の魅力に開眼します。舞台が創作に与えた影響や、2026年3月に上梓した『劇場という名の星座』に込めた思いをお聞きしました。
書き続けてきた、そして「舞台」に出会った
――小川さんが舞台を観るようになったきっかけを教えてください。
私は長らく舞台とは無縁の人生を送っていました。20代で小説家としてデビューしてからは、ずっと書くことに必死でしたし、出産・育児と私生活でも慌ただしい日々が続いていましたから。地方に住んでいるので、仕事で上京しても頭の中は「一本でも早い新幹線で帰らなきゃ」「明日のお弁当のおかずはどうしよう」といったことでいっぱい。一人でゆっくり観劇を楽しむ気分ではありませんでした。
ところが、バレエ好きの編集者の方と 出会ったことが転機になりました。ちょうど子どもが成長して余裕が生まれた頃。「これは観ておいたほうがいいですよ」と、実力派バレリーナの公演や海外の名門バレエ団の来日公演にも誘ってくれ、観に行くようになりました。
――どんな印象を持ちましたか。
衝撃でした。無言の身体表現で、2時間も3時間も観客を釘付けにしてしまう。「こんな世界があるんだ!」と。その後は文楽にも足を運ぶようになったのですが、言葉を発さない人形が人間以上の感情を伝えてくる世界に、やはり圧倒されました。神様がちょうどいいタイミングで舞台に出会わせてくださったような気がしています。
文学が格闘する壁を、軽やかに超える瞬間
――ミュージカルに出会ったのは?
実は、ミュージカルは長らく食わず嫌いだったんです。劇の最中に歌い出すことが、なんだか不自然に感じられて。ところが、2016年にシアタークリエで『ジャージー・ボーイズ』を観劇して以来、その考えがガラッと変わりました。
音楽と歌と肉体が、物語に自然と織り込まれている。言葉の意味を、歌声が越えていく瞬間が確かにそこにはありました。「ああ、歌でしか伝えられない感情というものがあるんだ」とそこで初めて腑に落ちたんですね。
舞台の上で聴く歌って、本当に不思議なんですよ。歌声は、登場人物の心の中の声でもある。言葉にならない心情を、私たち観客は特別に聴かせてもらっているのだ。そう気づいたとき、舞台上で繰り広げられる表現に、小説家として何ともいえない羨望と憧れを感じました。
――なぜでしょうか。
言葉というのは、人間がつくった道具ですよね。便利だけれども、道具としての性質上、どうしても“行き止まり”があります。その行き止まりの先へ、どうやって読者を連れていくか。その壁の前で四苦八苦しているのが文学だと私は考えています。
ところが舞台では、ダンサーや俳優の方たちが、その壁をやすやすと超えていく。作家として年数を重ねてきたからこそ、「私がずっと求めている表現は、こういうことだったんだ」と気づけたのかもしれません。私は、言葉を失うような小説を書きたいんだ、と。表現のある種の理想のかたち、それを私は舞台に教えてもらいました。
現実と物語が溶け合い現れる、一つの真実
――舞台の醍醐味は何だと思いますか。
『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』『屋根の上のヴァイオリン弾き』など、名作と呼ばれる舞台を次々と観に行くなかで、気づいたことがあります。それは観客には「目撃者になれる」特権があること。
例えば『レ・ミゼラブル』。終幕で死者たちが勢揃いするシーンでは、コゼットとマリウスには、死者の姿は見えていません。でも観客にだけ全員が見えている。登場人物にすら見えていないものまで、観客は見せてもらえる。舞台は死者と出会える、特別な場所でもあるんですよね。
もう一つ気づいたのは、現実と物語が溶け合うときに一つの真実が見えてくるということ。
例えば『モーツァルト!』は、大人になったモーツァルトの音楽活動を、神童と呼ばれた子どもの頃の彼、アマデが支えているというユニークな作品。アマデという一言も発さない子役が、才能の化身として描かれています。これはもちろん架空の設定なのですが、フィクションだからこそ描ける真実があるんですよね。フィクションが真実になる、舞台はそんな魔法がかかる場所です。
頭のなかに浮かぶ舞台の世界へ、読者を誘いたい
――最近は、舞台や劇場にまつわる作品も書かれていますね。
『掌に眠る舞台』や『劇場という名の星座』には、観客として感じたことはもちろんですが、取材で調べたことも反映しています。特に『劇場という名の星座』を書くにあたっては、帝国劇場の裏方の方々を多数取材させていただきました。
案内係の方、俳優の付き人の方、稽古ピアノを担当される方……。皆さん、黙々と仕事をされる職人肌の方ばかりでしたが、ふと口を開くと真理を突く一言が飛び出てくる。自分が「主役になる」ことには興味がなくて、舞台を支えることに誇りを持っていらっしゃる。
そうした方々の佇まいやそれぞれの仕事の細部に、とても想像力を掻き立てられましたね。小説を書くエネルギーももらいました。
私の場合、小説を書くときは、頭のなかに鮮やかな舞台の映像が浮かんできて、それを言葉で描写しているような感覚があります。私自身がその世界に一歩入って、そこで繰り広げられる物語を見ているような。でも私が立つ場所は、主役が立つゼロ番(センター)ではないんです。大道具の後ろに隠れて、客席から見えない場所から舞台を観察する。それを文字に変換して、読者を物語の世界に連れて行く。そんな感覚です。
帝国劇場の取材時に使用した取材ノート
画面越しでは得られない、生の手触りを求めて
――なぜ劇場に通い続けているのですか。
今は配信であらゆるものが見られますよね。画面越しに大抵のことが済ませられる時代だからこそ、わざわざ服を着替え、電車に乗り、劇場まで足を運ぶことに価値があるのだと私は思っています。劇場に一歩入ったその瞬間から、すでに始まりなんです。異世界への扉はもう開いている。その空気を実際に味わいに行けるのは、人間だからこそできること。
何より、配信では絶対に得られない、肉体的な体験が劇場にはあります。ミュージカルが最近これだけ人気になってきたのも、皆さんがそういう「生の手触り」に飢えているからではないでしょうか。
そう考えると劇場ってやっぱり不思議な場所ですよね。今は休館中の帝国劇場も、長い歴史の中で何千万人ものお客様をおもてなししてきたわけですから。舞台との出会いに感謝している方が、きっと大都市ひとつ分かそれ以上くらいに大勢いらっしゃるはずです。
今を肯定して、未来を夢見る。それが舞台
――これからの舞台との付き合い方について教えてください。
私は舞台の魅力に目覚めたのが遅かったので、最初の頃は「もっと早く観ておけばよかった」と後悔することがありました。「あの俳優さんの初演、観たかったな」とか、調べれば調べるほど思ってしまって。
でも、ある俳優さんのファンの集いに行ったときに、「今、出会えたことが幸運なんですよ」って声をかけてくださった方がいて、その言葉に救われました。演劇に関わる人たちって、そういう考え方をされる方が多いんですよね。過ぎた時間は戻ってこないということを潔く認めて、今を肯定し、未来を見ていらっしゃる。
チケットを買うことは、未来を買うこと、未来との約束を交わすことなんですよね。今日起こったことを肯定して、未来の夢を買う――。舞台を観るとはそういう行為なのだと感じ入りました。
私はバレエ好きな方に誘われて舞台に出会ったわけですが、今では私自身が誰かに舞台の魅力を伝えるようになっています。息子夫婦に舞台のチケットをプレゼントすることもありますね。最近の私の夢は、孫が成長したときに一緒に劇場に行くこと。良質な舞台を見る経験は、人生の大きな財産になるはずですから。